映画「猫の島」感想、瞬間と時間と生命と

 今日、Amazon Prime Videoで映画「猫の島」”Cat Heaven Island”(2016)を見た。非常に良い映画で、思うことがあったので簡単に書きとめておきたい。

 

 映画「猫の島」は、宮城県石巻市田代島を舞台としたドキュメンタリー映画である。田代島は 50人から60人のお年寄りの住民と、120匹から150匹ほどの猫が住んでいる島であると、映画に登場している田代島で猫の写真を撮っているフォトグラファーのタナカさんが話してくれる。「猫の島」というタイトルなので猫が中心のドキュメンタリーだと思って見たが、内容は猫が主体ではなく「猫の島」に住む住民の「生活」と「語り」の映画だった。

 

 田代島には80人ほどの住民がいる。ほとんどの人がかなりの高齢者であり、同時にほとんどの人が漁業で生計を立てている、もしくは過去生計を立てていた人たちのようだった。東日本大震災の前には80人よりももう少し多く住民が居住していたそうだが、震災以降、人がだいぶいなくなってしまったようである。

 

 映画の中で見る田代島は、島の地形にずいぶん起伏があるようで坂が多いのが印象的なことを除けば、地方の海沿いの町の平均的な漁村のイメージに近い。カーブを描いた海岸線に本州からの船が止まり、島の人の船が並ぶ波止場たちからなる小さな漁港がある。漁港の奥のなだらかな坂の向こうには島の人が住む住宅が密集しているようである。細い道が方々に走っている風景は、中上健次原作、若松孝二監督の2013年の映画、『千年の愉楽』のロケ地となった三重県尾鷲市須賀利の風景とも似ている。どちらも漁業を営む生活が根底にあるためかもしれない。そういった町を映す画面の中で、たくさんの猫が気ままに歩いている。

 

 前半20分程度は、フォトグラファーのタナカさんと、東京から移住してきたという民宿を営む男性が田代島と、田代島に来た理由を語ってくれる。

 

 タナカさんは、田代島の猫を撮るようになった経緯と合わせて、同時に東日本大震災後の田代島の話もしてくれる。彼は当時撮った写真をカメラに見せながら、震災当時のことを教えてくれる。タナカさんによると、震災のために海沿いの土地の一部の地盤が1メートル以上沈み、震災直後は満潮時になるとほとんどの部分が沈んでしまっていたそうである。今は嵩上げ工事が行われて沈まなくはなったようだが、震災当時はかなりの漁具が流されてしまって多くの人が漁業をやめてしまったそうである。そう語るタナカさんの映像から、ここで現在の嵩上げ工事をしたあとの土地が映し出される。護岸工事をされた跡にも似ているその場所に、一匹の猫が歩いている。体毛はほとんど白くお尻だけ黒い猫である。海を後景にして、手前に陸地がある。撮影があったのは冬らしく画面の向こうの海は深く暗く蒼い。猫は遠くにいて、とことこと歩く足の白い裏側が見える。ちらちら動く小さい足が可愛い。

 

 次に、田代島の漁師の男性が映し出される。彼は港で漁具を手入れしている。高齢の男性で、東北の言葉で喋ってくれる。「冬は魚が冬眠状態であまり獲れない」「だから暖かくなってから魚獲りをする」「その代わりにナマコはこういった寒い時期に活動する」「この仕事は収入じゃなくて、好きでやっている」と言う。彼のそばにも、少し離れた所にもたくさんの猫がいる。男性の語りの合間合間に、彼の話に耳をそばだてるように耳を動かしている猫や、漁具の周りで寝ている猫の映像が挿入される。

 インタビューの最後に彼は白いナマコを見せてくれる。「40年漁師をしていて初めて獲った白いナマコ」だと言う。男性の手のひらに乗る程度の大きさで、「この写真を持って歩くと幸せになれる」と話し、画面の外の撮影隊に向けて「おたくさんと出会ったのも初めてだから幸せ」と言う。「このナマコは食べないよ、大事なものだから、食べたりしない」と言って、ビールケースを2つ上下に組み合わせた簡易いけすの中に白いナマコを戻す。

 

 そのあとも、色々な人たちが登場して田代島と、田代島の猫について話してくれる。田代島で生まれ、田代島で育ち、今も田代島に住んでいた男性は、平成元年に廃校になってしまった田代島の学校の思い出を語る。昔は賑やかだったことや運動会のこと、今は人が少なくて少し寂しい気持ちであること、など。また別の男性は、今はプラスチックに変わり、もう使われてなくなったガラス製のウキについて話す。田代島の木にもう使われなくなったガラス製のウキは吊るされて飾られている。島で食品や生活用品を売るお店を営む女性が、日に1人か2人は人が来るので伴侶が亡くなったあとも店を開けているという。「商売のためではなく集まってお茶を飲むため」と言う。高齢の夫婦は、震災で思い出の写真がなくなってしまったことを語る。観光客の女性も田代島の魅力について語ってくれる。「猫と島が好きで、それで」と。この映画の焦点は田代島のコミュニティを描写することにあるようで、映画の後半では島の広場で宴会をしている島民の様子が映し出されている。映画中、ずっとどこにでも猫は写り込んでいて、猫らしく過ごしている。場面場面で映し出される田代島の自然は美しく、魅力的だ。

 

 「猫の島」内では、猫と人が田代島で生活を営んでいる姿が、「田舎は美しい」や、「自然は素晴らしい」などのあらゆるフィルターを一切通さずに、淡々と、かつ生き生きと映し出される。島の住民が守ってきた島の神社の姿や、病院に行くために島を離れるという高齢の男性、若い人に来てもらって田代島を盛り上げて欲しいという女性の語り、猫に餌をあげる男性、雪の中を寒そうに歩く猫の姿、日が昇り日が落ちる海の映像、色々な出来事が画面の中に往来する。

 

 後半、ナマコを見せてくれた人とは別の、一人の高齢の漁師の男性が登場する。「震災の時は大変だったよ」と、震災から一ヶ月後に見つかった「兄貴」のことを話す。「大変だった」と言って、歯型で身元を照合した、と語る。

 

 このような時間経過と島の人々の語りによって織り成される映画 「猫の島」を見ていて、三島由紀夫のある言葉を思い出した。

 

 三島が1968年頃に中村光夫と行った対談、「人間と文学」の中に出てきたもので、時期的にはそろそろ自決を意識していたとされる、かなりペシミスティクな状態の三島が、中村に言った言葉のうちのひとつである。

 

「ことばは何もはじめやしないし、革新もなければ、物事を生みもしなければ、もちろん革命の役などに立つものですか。少なくとも芸術は革命の役に立たない。社会もよくしないし人間もよくしない。ただ終わらせる。ことばというのは世界の安死術だと思いますね。鴎外の「高瀬舟」ではないけれども、ことばというのは安死術です。そうしなければ時が進行してゆくことに人間は耐えられない。」

 

非常に厭世的なコメントだが、特に思い出したのは、引用中の「ことばというのは安楽術です。そうしなければ時が進行してゆくことに人間は耐えられない」という部分である。三島は彼の問題意識によって発言し、この発言には当然それぞれの文脈があるとは思うが、「猫の島」を見ているとこの一文が思いがけず想起された。

 

 ただの連想であるが「時が進行してゆくこと」を「安楽」にしてくれるものが言葉であるならば、記憶を語ることや失ったものについて語ることは、その瞬間、ある時間、ある一瞬を一瞬だけひとつの形にして世界に留めさせておくことになるだろう。言葉にして語った瞬間に再び過ぎ去るものであったとしても、過ぎて行く時間に一瞬触れることができるだろう。

 「猫の島」で、人々は過去の島の姿や自分の思い出、そして「白いナマコ」という美しいものについて語ってくれ、近しい人の死について、震災で失ったものについて語る。猫はたくさん島を歩いている。田代島の自然は美しい。緑は青く、海は太平洋側の海のように真っ青ではないが美しい日本海のもつ深い色味をしている。年をとった人たちが仕事をし、生活している様子がそこにある。

 

「震災の後、カラスが増えた」と画面の中の島の人が「猫の島」の終盤頃に、教えてくれる。

 

 そこで初めて、猫と同じくらいカラスが画面の中にいることに気がつく。「猫の島」田代島は、社会的な単語で言えば限界集落である。人がいなくなれば、猫もゆるやかな管理の手から離れ、子猫も多くカラスに食べられてしまうだろう。島の人々が生活してきた住宅、毎日歩いていた道路、そういったものもすぐにぼろぼろになるだろう、登場する島の人々はほとんど高齢で、限界集落が、境界を越えてしまうのもきっと遠くない話ではあるだろう。もし、それが定めならばドキュメンタリー映画、「猫の島」に記録された姿が失われる日はそう遠くないだろうと、島に群れなすカラスに気がついた時には思わずにはいられない。

 しかし映画の中には、冒頭に登場した民宿を営む男性のように、移住してきた若い人も少なからず登場する。観光客も来ている。杞憂とまではいかなくとも、あえて今、失われる日に思いを馳せなくとも良いだろうと、そう感じる。

 「猫の島」は「限界集落に残る美しい営み」や「高齢者の淡々とした生活」や、「限界集落の未来を案じる」風景を描いているわけではない。田代島の自然や、そこに住む人々の生活と彼らによって断片的に語られた彼ら自身の人生についての言葉を、同じ人間同士へ向ける親しみと非政治的な慈しみの目線で捉えて、「生活」と「彼らによって語られた彼らの人生」を軽く、なおかつ深く、描き出しているのみである。

 

 「猫の島」は言葉によって織り成された映画である。過去あったこととこれから起こること、時間の流れのうちに生起する過ぎ去った出来事と予期されるあらゆる出来事の一点を、ことばによってひとつの瞬間に「瞬間的」に留めている。そして、その瞬間がカメラによって映像の中に縫い止められて、反復される「永遠」の時間を与えられている。

 

 命あるものは全て死んでしまう。猫も私たちもちろん同じで、毎日、毎秒毎分毎時間の時間を、薄紙のように重ねている状態を「生きている」と言っている。無限の瞬間の生の時間の「更新の時間」が、「生きている時間」である。その点で、ことばによって留められた過ぎ去った時間のありかたと、私たちの「生きている」は似ている。

 

 「猫の島」という映画を見ると、生を感じる。複数の意味で「瞬間的」な「時間」が、映画の中に収められている。過ぎて行かず未来の到来しない一瞬の生、田代島の人たちと猫のひとつの生の瞬間が凝固している。

  多くの生き物と同時代に生きていることを強く感じること、いなくなってしまった人々に思いを馳せること、いずれ失う自分の生の時間を感じること、それこそが、「猫の島」という映画を見ることで感じられる。

 

 震災で亡くなってしまった人たちに思いを馳せつつ、そういったことを考えた。自分自身は直接的に被災していないために何かを言う資格はないので、書くことは控えるが、そのことについても色々と考えることがあった。

 

 

 「猫の島」はとても良いドキュメンタリーで、ここ最近見たものの中で一番良かった。どうぞ見てください。

 

 

 

「猫の島」予告

 


Cat Heaven Island | Trailer | Available Now

 

Amazon Prime Video 

猫の島 (Cat Heaven Island)

 

 

補足 : 海外のウェブメディアに簡単な記事が載っていた。

laughingsquid.com

元旦の夜中に書くことではない(正確には2日)

 

久しぶりに何か書かずにはいられなくてわざわざブログを開設してしまった。

 

いつもいろいろ言いたいことや思ったことを人に言いたいと思っても、この世の中人に話を聞いてもらうことは有料なことだから(カウンセリングとか)、知り合いや友達や恋人に自分のこういった処理できない感情の話をすることは申し訳なくて喋れず、しかも私が話したいことは世の中一般的には「どうでもいい」ことに分類されることなのでそもそも人に話すことでもなく、そして私の方も話したいことが明確にあるわけではないので、ぽつぽつと私が話すことを聞いてなんとなく行間を読んで気持ちをわかってほしいみたいな感じで、でも真面目に聞いて欲しくて、片手間に聞いてほしいわけでもなく、わかるわかるしてほしくもないので、わかってくれない人に話すくらいなら話さない方がマシで、一人で海にでも行って3時間くらいぼんやりして泣いたりすればなんとかなるので話して壁を感じるくらいならそっちの方がまだずっとよくて、海じゃなくても夕焼けとかでもよくて、あと朝日でもいいし、別に海や夕焼けや朝日みたいなセンチメンタルな自然じゃなくても真昼の日光を窓から眺めてもビルの中の喫茶店から「行き交う人並み」を見てもよくて、ともかく自分より大きなものを見ることさえできれば、自分の片付けられない感情をそこに仮託してなんとなく昇華できてきたけど、最近は本当に忙しいし、寒いから、そういう風に無為に時間を過ごすということができない。

 

でも人間の多くが、こういう人に言えない言いたくない言う必要もない感情を隠して黙って生きていることはわかるし、でなければ音楽も文学もいらないと思うので、この記事も多分冷静になったら消してしまうものになると思うけど落ち着かない。

 

自分の感じている感情や思っていることが人間一般に共通な陳腐なもので極端に悲愴がることはなくて、もしくは今気がつかないうちに落ち込んでいて全部が悲しく見える眼鏡をかけているのかもしれず、今なぜ今自分の憂鬱の正当性を弁解しているのかもちょっとよくわからないけど、何か言いたいけど何も言えない感じがある。

 

もう25になるのに他人は他人だということに新鮮に傷つく。自分が他人から見て、どうでもいい単なる人間、私が憂鬱な時に眺める人ごみの中を歩くひとりであることに傷つく。自分が新鮮に身悶えするこの感情が人類普遍なことに傷つく。自分のすべての感情や、すべての事情が、全世界の今生きている人間のデータと過去に全世界で生きていた人間のデータから見て、平均化できる感情であることに傷つく。

 

自分のことが特別であってほしいと思っているわけではなく、自分の感情や思考みたいなパーソナルなものも、自立しきれていない幼児性のある平均的25歳の人間の思考パターンの枠内に入ってしまうことが辛い。自分の個人的なものというのが、「みんな」の中に相対化されてなくなってしまうような気がする。というか言葉で何か表現をしようとする時にすでに表現されたいものは普遍化されてしまっているので、絶対に自己とか自我とか存立不可能であるので、もう前提からして無理で、自分が拠り所にできる自分なんていうものはないんだということを書きながら思う。

 

こういうことを思っている反面、海や人ごみをみて感情を片付けているのは、一体何にこんなに困っているのかがわからない。

 

「〜〜わからない。」という言葉を使うたびに本当に名前を忘れてしまったけど、何かのエッセイストが「私のエッセイにはわからないが多いと編集さんに言われた。だってわからないのだ、云々」みたいな文章を書いていたのを思い出し、いやエッセイストなのに書くべきものを「わからない」と言ってどうする、と思う(今でも思う)

 

書き忘れていたけど「行き交う人並み」は引用で、ロードオブメジャーの「偶然という名の必然」に出てくるワンフレーズで、多分続きは「去りゆく日々は人に問う」だったと思う。人混みという言葉を使おうとしたときに急に出てきた。

 

いろいろ本を読んだせいで一つの単語をきっかけにしていろいろな文章が呼ばれてでてくる。こういうことを考えていると特に呼ばれなくても出てくる文章もいる。

 

「夕焼け」という言葉を上で書いたけど、「夕焼け」という言葉もつながる文章でよく覚えているのがある。三島由紀夫の『暁の寺』で、主人公本多がタイに行った時にうざい通訳の菱川という男から芸術論を垂れられる部分の文章で菱川がいうセリフに出てくる。「芸術というのは一つの巨大な夕焼けです。一時代の全てのよいものの燔祭です」

 

道を歩いている時は渡辺玄英の詩の一連が呼ばれてないのに出てくる時がある。「けるけるとケータイが鳴く」「火曜日になったら戦争に行く」「唇に剃刀を当てて 黙れよと」別に渡辺玄英に限らず色々出てくる。でも最近は渡辺玄英が一番多い。あとは友達の言葉も思い出す。「暇な時海に行ってよく本を読んでる」と言ったら友達が「サガンみたい」と言ったことなども思い出す。

 

大学生の頃に歩いて帰っていて一本道の向こうは川という所、道路側の通りで工事をしていて工事の足場と狭い道の向こうの川が綺麗で写真を撮ったけど心霊写真が撮れたら怖くて見なくて消したことを今でも後悔している。

 

そういうことを誰かに話したくても、全部みんなから見たら本当にどうでもよいことで、私が歩いている時にどんな詩を思い出しても、「わからない」という言葉から何を思い出しても、よくわからない感情で困ってぼんやり海をみて3時間過ごす話も、子どもの頃にいやな気分になった話も、世の中で平均化してしまえば全部ある意味「よくあること」でしかなく、実際よくあることで、あと多分まあ全然元気に生きてきた方なことはわかっているので、そうやたらと嘆く必要もないことも全部わかっているし、あとみんな(誰?)はそんなに暇ではないし、自分もそんなに暇ではない。